定年後のライフスタイル


by dbeiko
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じいじ便り・・。11月10日(土)(タイ語ワン サオ)

◎この頃と天気・・・。

9日、朝5時30分頃、西の空もまだやや明るさに欠ける。その後、直ぐに山の稜線が
すっーと明るくなってくる。
西の空に一つだけやけに大きく明るい星が輝いている。栄子が、あれはバルーンかと
私に言う程、大きくて輝いている。この星は、暁の明星金星だ。
その下にも小さく輝く星がある。その星は水星だ。少し早起きして見るのも良い。

朝6時が少し前、Aさんの車でゴルフに行くのに向えに来てもらうので二マンヘミン通りへ
出て車を待つ。
通りには暗さがあり、人通りもまだまだ少なく走る車の量も少ない。
街路灯の明かりも、もう少しで消えるだろうか、まだ明かりが欲しい程だ。
そんな時間にも揚げパン屋のペットさんの店、総菜屋の店には、もう客が居て明々と電気が
付いて忙しそうに人が動く。

この頃、夜中良く冷える様になった。
昼間の好天気のせいか、夜中3時頃になると室内温度が急に下がり始める。
先日も室内温度で25度まで下がり夜中に思わず毛布を取り出して掛けるまでになった。

10日(土)の朝も快晴で明けた。西の山並みにうっすらとした赤見が稜線の上に掛かり
何事もない静かな平和の夜明けだ。
時々、鳥が鳴き何か生活音も小さく耳の中に飛び込む。毎日、こんな夜明けが好きだ。
室内温度は24度を指している。背中が寒くベストを取り出して思わず羽織った。

◎今年も始まった屋台フェシュバル・・・。

毎年雨季の明けるこの時期にチェンマイの屋台が、このコンドの裏の広場に集まり一大
食堂街が出来上がる。今年は11月3日ー10日の開催期間になった。
その広場の場所の名前は、ガー、ツン、ドイ(山の麓の市場)と言う。
タイ人がガーは、タラートと同じ意味だと教えてくれた。市場、麓、山となる。

今は何もない大きな広っぱになっているが、その前は名前から見ると大きな市場が有った
事だろう。 この広場面積は、大きく縦、横100M位はある。
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屋台軒数は正確に数えたわけではないが、100軒位は出店しているだろうか・・・。
この頃は、その広場にも飲み屋街が出来て大分小さくはなったが、それでもそこに大きな
舞台ステージを作り毎晩、歌手や大人、子供達の歌、踊りなど夕方から深夜まで催がある。
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丁度、プミポン国王が入院中でもあり、記帳コーナーを作り記帳台で書く事が出来た。
栄子も、ワラン家族も皆で記帳した。快復記帳台帳に記帳してからハート型に快復願いの
言葉を書き、それを紐で結ぶ。
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自分達が食べたい物を屋台でを買い、それを食べる椅子席が中央に作ってありステージを
見ながら楽しむ事が出来る。
屋台には日常食べる定食から飲み物、お菓子等、普段皆が食べる料理が全部揃っている。
見て歩くだけで楽しい。
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川魚の塩焼きだ。鯛の姿にそっくりで白身で肉厚もあり川魚が気にならない人には
なかなか美味しいものだ。タイ人は魚が、最高の料理としているので人気がある。
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私達の子供の頃、日本にも大きな催し物が有ると移動観覧車来てそれに憧れた。
そんな観覧車にも値段が高く乗ることが出来ず、只下から羨ましく見ているだけだった。
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タイ人にも人気の寿司だ。それぞれ何種類か一品ずつ客は頼んでいるが随分の値段に
なる。 一貫づつの握りで、どの店も陳列して出ているネタは良く似ている物ばかりだ。
大きさもネタも良く似ているのに店により少しづつ値段が違う。
機械の一括握りかも知れない。夢がなくなるのでそんな事は考えない・・マイペンライ。
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夜が更けていくと屋台の電灯も明るさを増し、人出も多くなりこの人の賑わいがないと
屋台街も絵にならない。見て回る方も元気が出る。屋台主の顔にも笑顔が自然に出てくる。


10日は、今年最後のファイナーレがあり日本の『昴。』等、歌手が歌うとタイ店のアーミャンが
教えてくれた。ワラン家族と皆で、今日の夜は聞きに行くことになる。

◎放送のテーマ、ソングソングを決めた理由と、今日の曲から・・・。(11月5日の放送から。)

山ちゃんは、一身上の都合で先月でおりられる事になった。
山ちゃんは『上を向いて歩こう』が、テーマ、ソングでしたが、それを少しでも
残す為に、私のテーマソングは『イッツ、ア、スモールワールド(ちいさなせかい)』を
かけていく。

私がこの曲を選んだのは、この曲を最初に聞いたのが東京ディズニーランドのテーマ館
だった。 その時から、この歌が大好になった。 
このテーマ館は世界の子供たちが、それぞれの国の民族衣装で歌う「小さな世界」。
そのハーモニーを聞きながら、ボートはヨーロッパからアジア、アフリカ、中南米、
南太平洋へと世界一周の幸福な旅へ出る。
フィナーレは、純白のコスチュームを着た子供たちが、平和への讃歌を大合唱する。
私もこの様な「世界」で合って欲しいと願う、今日、この頃だ。

それでは、ここで『ちいさなせかい。』を掛けます。

1:48   Ⅰ、ちいさなせかい

メロデイーと云い歌詞と云い、皆様も本当に良い歌と思いませんか。
1983年に東京ディズニーランドが開演して、初めて会社の慰安旅行で千葉の浦安に
行き、最初に入ったテーマ館が『イッツ、ア、スモールワールド』のテーマ館だった。

小さなボートに乗って、世界に向けてのあの明るい歌い声、余りにも作り物の綺麗さと
館の中の可愛さに感動して、これは自分だけで見ては申し訳ないと家族全員で来て
見るものだと思い、それ後どのテーマ館に入らずにその当時のパスポート券を一枚も
使わずに名古屋に持って帰り、後日家族で出かけて全部使用した。
20数年前の事で改めて、今、思い出している。

○それでは、今から今日の歌をかけていく。
今日から何週間に渡って昭和30年、40年の日本歌謡のヒツト曲をかける。
私は、まだ学生でした。それから社会人一年生、会社に入り何も判らず先輩に仕事の
いろはの指導を受けて、あの頃の先輩は厳しく仕事を覚えるのに毎日、毎日、泣く思い
だった。
失敗も多く本当に良く怒られました。そうですよねー。仕事の仕も全く知らないから、
教える方も、又、大変でしたでしょうね・・・。

皆様はどうでしたか。日本もまだ高度成長期前で経済そのものも不安定な中で、
それぞれ苦労された事と思います。 
そんな時代の事を、この歌で今日から思い出して頂きます。
みんな、苦労ばかりでなく仕事もしたが、良く遊んだものですね・・。
若かった、元気だった、夢が実現出来るとも思っていた時代でした。

今日は、この辺で。
by n-jijinao | 2007-11-10 09:06